原研哉「白」を読んだ
October 30, 2010 at 11:08 PM | View Commentsデザイナー「原研哉」さんの著書「白」を読みました。
原研哉さんは無印良品のボードメンバーで東京ADC賞のグランプリを受賞したポスターなどが特に有名。
無印良品でのトークイベントの話が興味深く、それ以降いろいろ調べています。
原研哉氏トークイベント採録(1/5) | くらしの良品研究所 | 無印良品
空白 エンプティネス
本の1/3は先ほど紹介した無印良品のトークイベントで語られた「空白 エンプティネス」の話です。ただし、トークイベントの内容そのままではありません。例えば、トークイベントでの話にはなかった等伯の絵の話などあります。
「空白 エンプティネス」は「無」ではなく満たされる可能性がある「機前の可能性」を持つ場合がある、と述べて例に長谷川等伯の「松林図屏風」をあげている。
これについて
描かれていない空白地帯を情報のゼロ地帯とは見なさない。 それどころか、そこにこそ意味を加算しようとする心性が日本人の美意識の重要な一端を作っている。
と、等伯の絵そのものよりも受け取る日本人の感性について述べている。
東山文化と茶の湯
西洋文化がシンプルに美や価値を見出したのは今より150年前。しかし日本はシンプルに先駆けること数百年、室町時代の中期に簡素に美を見出していた。
室町幕府8代将軍「足利義政」が築いた山荘、いまでは銀閣寺の通称で知られる滋照寺の一角、東求道の同仁斎という書院は、和室の原点と言われている。
義政の治世の時代に応仁の乱がおこり、京都にある寺、彫刻、書、書画の多くが失われた。義政は施政家としては無能だったようだが、文化に通じる教養人だった。義政は京都のはずれ東山に山荘を築き隠居する。そして、彼と彼の周辺から簡素の美を見出す新しい日本文化が生まれた。
簡素に美を見出した「わび茶」の祖は村田珠光という人物だが、この人は高価な輸入物の道具を使った当時の豪華な茶を否定し、4畳半の茶室に禅の精神を追求したわび茶の精神をつくった。そして義政の知遇を得ていた。
義政と珠光が実際にどのように関わったかを証明する資料は少ないようだ。しかし、義政が残した「銀閣の同仁斎」と珠光が残した「わび茶」をみれば、「簡素」という美を生み出した背景が透けて見えるように思える。
銀閣寺
本の内容を離れるが、銀閣は建設当時、銀色に輝いていた可能性があるらしい。
もっとも、金箔で飾れてた金閣寺のように銀箔で飾られていたのではなく、漆の上の白土(はくど)を塗り、その上に明礬(みょうばん)を塗られていた可能性があるとのこと。これで銀色にうっすらと輝くそうだ。
銀閣は月を眺める屋敷として建設されたそうだ。月に照らされ銀色に輝く銀閣はとても美しかったように思える。
正直に言うと、この本や銀閣についてのテレビを見るまで、銀閣について無能な義政が義満の金閣に対抗して銀閣を作ろうと思ったが、財力不足で銀も貼れず、小ぶりな建物しか作れなかった。という認識があったのだけど大間違いだったようだ。
義満が江戸時代に続く政治的流れを作ったように、義政は現代に続く文化的な流れを作ったのかもしれない。
銀閣は一度も見たことがないので、つぎに京都に行くときは行ってみようと思う。
ちなみに金閣、銀閣という名称は江戸時代についたらしい。
英訳付き
「白」の後半は完全な英文が載っています。原研哉さんの著書は世界中で読まれているらしいので、この本も広く読まれてほしい。
